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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)11823号 判決

原告

小野美代子

右訴訟代理人弁護士

秋山邦夫

被告

長谷川清兵衛

被告

長谷川一郎

被告

匠建設株式会社

右代表者代表取締役

依田留明

右被告三名訴訟代理人弁護士

中本源太郎

渡邉澄雄

主文

一  被告匠建設株式会社は、原告に対し、金四八三万四八九二円及びこれに対する昭和五六年一〇月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告匠建設株式会社に対するその余の請求並びに被告長谷川清兵衛及び同長谷川一郎に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の五分の一と被告匠建設株式会社に生じた費用を被告匠建設株式会社の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告長谷川清兵衛及び同長谷川一郎に生じた費用を原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金一七六一万四八〇〇円及びこれに対する被告長谷川清兵衛及び同長谷川一郎については昭和五六年一〇月二九日から、被告匠建設株式会社については同月三一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告長谷川清兵衛及び同長谷川一郎(以下「被告一郎」という。)(以下右被告両名を「被告長谷川ら」という。)は、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)の共有者であり、被告匠建設株式会社(以下「被告会社」という。)は建設業者であつて、被告一郎から本件土地上に鉄筋コンクリート造三階建のビル(以下「本件建物」という。)の建築を請負い、施工した者である。

2  原告は、本件土地に隣接する別紙物件目録二記載の土地(以下「原告土地」という。)の借地権者であり、別紙物件目録三記載の建物(以下「原告建物」という。)の所有者である。

3  被告会社は、本件建物建設のため、昭和五六年五月六日に基礎工事のためのいわゆる根切りを行い、本件土地を深さで約二メートル以上掘削した。その際、被告会社は、掘つた側壁を古ベニア板で押さえたにすぎない簡易山留工法をとつた。

4  (原告建物の損傷)

その結果、原告土地は別紙図面一のニ、ヘの部分に地割れが生じ、原告建物は右図面ホ、トの部分の基礎鉄筋コンクリートが割れ、一階側壁のチの部分に割れ目が生じ、別紙図面二のAないしE、H、Gのサッシの窓枠等が傾げて最大一センチメートルもの隙間ができ、Eの部分では、畳と柱の間に隙間ができ、浴室のF点では、いずれも側壁タイルに亀裂が生じる等、全体が破損された。

5  (因果関係)

本件土地は、軟弱な地盤であり、被告会社が前記のとおりの簡易山留工法をとつたため、自然湧水の出水があり、そのため原告土地が一〇センチメートル以上沈下し、右の4の損傷が生じたものである。

6  (被告会社の責任)

被告会社は、昭和五六年四月二日と三日に本件土地の地質調査を行い、本件土地が軟弱な土地であることを熟知していたのであるから、根切りを行う場合には、地下水調査を行つたうえ、隣地の建築物に影響を与えないような最上、最適な工法をとるべきであるのにこれを怠り、一番簡易で費用の安い簡易山留工法をとつた点に重大な過失があるから、原告建物の損傷の発生につき不法行為責任がある。

7  (被告長谷川らの責任)

被告長谷川らは、長年本件土地に居住していたから本件土地が軟弱地盤であることを知つており、また、右の地質調査の結果を記載した報告書も読み、被告会社と軟弱地盤における山留工法について協議したにもかかわらず、原告建物の損傷を防止するための措置をとらなかつたのであるから、右損傷の発生につき民法七〇九条の責任がある。

また、同被告らは、本件土地の共有者として民法七一七条の責任がある。

8  (損害額)

原告建物の原状を回復するためには、これを新築する必要があり、その費用として一七六一万四八〇〇円を要するから、原告は同額の損害を被つた。

9  よつて、原告は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、連帯して金一七六一万四八〇〇円及びこれに対する不法行為後である本件訴状送達の日の翌日(被告長谷川らについては、昭和五六年一〇月二九日、被告会社については同月三一日)から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は知らない。

3  同3の事実のうち、被告会社が昭和五六年五月六日に本件土地の根切り、山留工事を行つたことは認める。但し、その工法は、以下のようなものであつた。即ち、被告会社は、同年四月二三日から二九日にかけて本件建物の基礎杭を六か所に打つたが、五月六日には、まず、その基礎杭のうちの一か所の周囲の表土を掘削し、その外周部分に鉄パイプを打ち込んだうえ、その部分を深さ一・五メートルまで掘りさげた。そして、右鉄パイプに矢板をあてがい、右矢板と掘削部分内側との間に鉄パイプ(切り梁サポート)を入れて、右矢板を支持、固定する。このやり方で次の基礎杭との間の部分、次の基礎杭の周囲の部分へと順次掘り進み、最後に掘削した溝の底部に捨てコンクリートを打設するというものであつた。

4  (原告建物の損傷について)

同4の事実は知らない。

5  (因果関係について)

同5は争う。

(一) 原告建物の損傷の第一の原因は、原告建物がもともと極めて軟弱な地盤の上に建築されているという点にある。そして、原告自身が本件の現場付近で地下の湧水を抜いてきたのであつて、これによつて地盤の沈下が生じていた。

(二) 第二の原因は、原告建物自体に以下のような欠陥と施工不良があつたことによる。

(1) 原告建物は、設計図に反して基礎にフーチングがなく、基礎高も四〇センチメートルにすぎない。

(2) 基礎の上端と土台とは均しモルタルで水平に接触させるべきところ、原告建物は、全長の二分の一しかモルタル施工がない。

(3) ボルト止めすべき土台燧材が釘打ちとなつている。

(4) 基礎の配置が建物中央部に集中し、他部は四周に簡単に配置されているにすぎない。

(5) 平家部分と二階建の部分とが同一の大きさの基礎で施工されている。

(三) 原告建物の損傷と本件土地の根切り工事との間に因果関係がないことは、原告建物が工事現場から最も離れた北東隅部分で一番沈下していることからも明らかである。

6  (被告会社の責任について)

被告会社は、訴外横山基礎工業株式会社(以下「訴外横山基礎工業」という。)に委託して昭和五六年四月二日と三日に本件土地の地質調査を行い、その結果本件土地を含む周辺の土地が深さ七、八メートルを境に上部が軟弱な沖積層であることが明らかとなつた。そのため、被告会社は、慎重な構造計算を行つて、前記のとおりの山留工法を決定、施工したのであり、隣接土地に地盤沈下等の影響を及ぼさないよう万全の予防措置を講じた。

7  (被告長谷川らの責任について)

同7は争う。

8  (損害額について)

同8は争う。

9  同9は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二同2の事実については〈証拠〉により、これを認めることができる。

三同3、4(原告建物の損傷)、5(因果関係)について判断する。

〈証拠〉によれば、以下の1ないし9の各事実を認めることができる。

1  被告会社は、本件建物の建築工事を開始するにあたつて、敷地内の地盤の状態及び硬軟の程度を明らかにし基礎の設計、施工に必要な資料を得るために訴外横山基礎工業に本件土地の地質調査を依頼した。同社は、昭和五六年四月二日と三日に本件土地においてボーリング調査を行い、本件土地が世田谷区、大田区から東南方向に流れ下る呑川の作つた埋積谷底地上に位置し、その地盤は、地下七・八メートルを境として、下部は土質工学的に安定した洪積世の東京礫層、上総層、上部は層厚〇・六メートルの表土の下の層厚七・二メートルの沼沢地性の極めて軟弱な沖積層によつて構成されていることが判明したので、同月、その旨を被告会社に対して書面で報告した。また、右調査によれば、本件土地の常水位はマイナス〇・四メートルであつた。

2  被告会社は、同月二一日に近隣への挨拶を行つた後、同月二四日から二八日にかけてBH工法という方法によつて、本件土地の六か所に基礎杭を現場で造成する工事を行つた。

3  その後、同年五月六日にいわゆる根切り、山留工事を行つたが、その工事の方法は、以下のようなものであつた。即ち、まず、右のように本件土地の六か所において造成された基礎杭の一つの周囲の地盤を深さ一・五メートルまで掘削し(根切り)、その掘削部分の外周部に添つて約一メートル間隔でパイプを打ち、そのパイプと掘削面との間に合板製の矢板をあてがい、さらに、右のパイプと矢板が内側に倒れないようにパイプでつつかえ棒(切り梁)をした(山留)。このような根切りと山留を右の基礎杭と別の基礎杭との間でも行い、そして、その別の基礎杭の周囲でも行うというように、順次、本件土地の中央部分を除いた部分において根切り、山留工事を行つた(以下「本件根切り工事」という。)。

4  本件根切り工事を右のような方法で行つたのは、被告会社が右の訴外横山基礎工業の地質調査に関する報告に基づき、土圧、倒圧等の構造計算を行つて、強度としては右のような工法で十分であると判断したためであつた。

5  被告会社は、その後、同月七日から基礎工事を行い、同月二〇日には、いわゆる埋め戻しをしたが、本件根切り工事を行つた五月六日から右埋戻しを行つた日の前日である同月一九日までの一四日間、本件土地の工事現場においては地下水がしみ出しており、それを現場に設けたいわゆる釜場に溜め、水中ポンプで汲み上げていた。

6  同年五月七日に、原告は、原告建物の二階のサッシュ戸が閉まらなくなる等の建物の損傷が生じていることに気付き、その後も同月一一日には一階のサッシュ戸に隙間ができ、基礎にひびが入つているのに気付き、同月一二日には風呂場の窓の下のタイルに亀裂が入つているのに気付く等、次々に損傷を発見した。

7  原告建物には、現在別表のとおりの損傷が生じている(以下「本件損傷」という。)が、これらはいずれも本件根切り工事開始後に発生したものである。

8  また、原告建物は、別紙図面三中の○の部分を基準にすると、北東の隅でマイナス五〇ミリメートル、北西の隅でマイナス一九ミリメートル、南東の隅でマイナス二七ミリメートル、南西の隅でプラス一二ミリメートルの高さとなるなど、別紙図面に図示したとおり不均等に沈下(不等沈下)している。

9  なお、原告土地は、本件土地の北側の隣接地であり、本件建物の一階の北端部分から原告土地上の原告建物の南端部分までの距離は、約二・六メートルである。また、原告建物は、昭和五三年に新築されたものである。

以上の事実が認められる。

なお、市川鑑定では、原告建物は、その建築期間中のうち造作取付、壁塗の期間中(約二、三か月)に既に沈下が発生して歪んだものと推察できるとされており、また、証人岡本辰義は、原告建物の本件損傷は、本件根切り工事以前に少しはあつただろうという趣旨の証言をしている。しかし、右岡本辰義の証言は、モルタルのひび割れ、木材の収縮の可能性等の単なる一般的な推測であり、具体的な根拠に基づくものではない。また、右市川鑑定についても、本件損傷のうち、どれかが本件根切り工事以前に発生していたことを直ちに示すものであるということではない。これに対し、原告は、〈証拠〉中に、本件根切り工事後に発生したものとして本件損傷のうちの一部について発見の度ごとに具体的に記載しており、また、原告の妹であり、昭和五六年当時原告建物の隣家に居住していた証人平野悦子も原告建物には本件根切り工事以前には本件損傷がなかつた旨の証言をしている。さらに、原告建物を建築した大工である証人斉藤誠は、原告建物を建ててから昭和五六年五月までの間に、施主である原告から、建具が合わないとか、戸の具合が悪いなどという苦情を聞かなかつたという趣旨の証言をしている。これらの証拠によれば、原告建物の本件損傷が本件根切り工事後に発生したことが十分認定しうるのであつて、右のような市川鑑定及び証人岡本辰義の証言だけでは右認定を覆すに足るものではない。

そうすると、原告建物は本件土地の隣接地上にあり、本件建物からの距離が二・六メートルで接近した位置にあること、本件土地は軟弱地盤で、常水面がマイナス〇・四メートルと高かつたこと、本件根切り工事以後に本件土地では地下水がしみ出しており、一四日間にわたつてこれを汲み上げていたこと、原告建物には不等沈下が生じていること、原告建物の本件損傷は本件根切り工事後に生じたことが認められ、これらの事実と、本件土地における地下水の汲み上げにより原告土地の水位が変化しそのために原告建物に不等沈下が生じて、その結果、本件損傷が生じたとする岡本鑑定によれば、右岡本鑑定の述べるような原因によつて本件損傷が生じたものと認定することができる(なお、市川鑑定も、根切り期間中の地下水の揚水が原告建物の不等沈下発生の重要な原因になつているとしている。但し、右鑑定は、根切りの深さが一・七五メートルであり、また、右揚水の期間が二、三か月であるという前提にたつものであつて、前記認定とは異なる事実を前提にしている。)。

右の認定、判断に反し、本件損傷の原因は本件土地における地下水の汲み上げであると認めることはできないとする証拠について検討する。

1  まず、市川鑑定人は、地下水を抜いたからといつて直ちに沈下をするわけではなく、沈下をするには何一〇日というような長い時間を必要とするという趣旨の供述をしている。そして、原告建物の本件損傷が、本件根切り工事の行われた日の翌日から次々に発見された(そして、本件損傷は本件根切り工事後に発生したものと認められる。)ことは、前認定のとおりである。しかし、市川鑑定人の右供述は、岡本鑑定が沈下の原因とする原告土地の水位の変化の場合にもあてはまることなのかが必ずしも明らかではない。市川鑑定人の右供述は、地下水の汲み上げにより泥土、シルト質土の構成分子中の水分が他に逸散する状態となつて沈下する場合について述べているからである(しかも市川鑑定人は、原告建物が不等沈下した最大の原因は地下水を抜いたことであると明確に供述している。)。従つて、市川鑑定人の右供述によつても、本件土地における地下水の汲み上げが原告建物の不等沈下の原因であるという前記認定を覆すに足りない。

2  また、証人若宮茂は、別表記載のA′−1の亀裂は、木造建物の基礎に往々にして生じる亀裂であり、通常のものと異なるものではないという趣旨の証言をし、また、同A−2及び3の亀裂については、モルタルが乾燥する時にできる収縮亀裂であるとの証言をしており、さらに、同B−7等の建て付け不良は、新築後一、二年で生じる一般的な建て付け不良と異なるものではないという趣旨の証言をしているが、右損傷がいずれも原告建物の不等沈下によつて発生したとする岡本鑑定及び市川鑑定に照らし、採用することができない。

次に、本件損傷の原因として本件土地における地下水の汲み上げ以外のものが考えられるかどうか、また、本件損傷の発生に右の地下水の汲み上げとともに複合的に作用した原因があるかどうかについて検討を加える。

1  〈証拠〉によれば、原告土地付近では従前から湧水があり、原告建物に隣接するアパートの敷地においても、長年地表に出てくる湧水をパイプで下水道まで導いていたことが認められる。しかし、本件根切り工事に際しては、右のような自然の湧水をそのまま流していたのとは異なる操作を加えているのであるから、本件土地における前記のとおりの地下水の汲み上げによつて、原告土地の常水位が従前の自然のままの状態から変化したということは十分考えられるのであつて、本件損傷が本件根切り工事後に発生したことを併せ考えると、右のように自然の湧水が本件根切り工事以前から流れ出ていたことが本件損傷の原因であるとは認め難く、またこのことは、本件土地における地下水の汲み上げが原告建物の損傷の原因であつたという前記認定を覆すに足るものでもない。

2  〈証拠〉によれば、原告建物には以下のような欠陥ないし施工不良か所が存在することが認められる。

(一)  まず、原告建物の基礎のいわゆるフーチングについて、岡本鑑定人が調査を行つた六か所のうち、一か所については、フーチングが設けられておらず、三か所については、その厚さが不足し、捨てコンクリートをフーチングに代用したものである(なお、市川鑑定では、フーチングが設けられていないとされているが、市川鑑定では、原告建物の二か所について調査を行つただけであり、これを採用することはできない。また、証人斉藤誠は、一階の増築部分以外では、甲第一〇号証の一の建築確認申請の際に添付した矩計図どおりのフーチングを設けた旨の証言をするが、措信しない。)。

(二)  布基礎の上端と土台との間は均しモルタルで水平に全面を接触させるべきところ、床下の換気口を兼ねて右モルタルを充填せずに布基礎と土台との間に約三センチメートルの空間を設けている所があり、柱の真下となる部分に右のようなモルタルが充填されていない部分が七か所ある(なお、証人斉藤誠は、土台が全面的に基礎の上に乗つている場合には、土台が水分を吸収して弱くなるから、むしろ荷重のかかる部分だけが、コンクリートの上に乗つているほうがよいという趣旨の証言をしているが、右のとおり、原告建物では、荷重がかかる柱の真下の部分にも空間があることが認められる。)。

(三)  土台の燧材はボルト止めすべきであるのに、釘打となつている(なお、〈証拠〉によれば、昭和五三年六月当時の住宅金融公庫融資住宅の木造住宅工事共通仕様書では、右燧材は大釘打で足りるとされていることが認められるが、市川鑑定によると、右仕様書の記載はその後改められたことが認められる。)。

(四)  布基礎の配置が建物中央部(玄関、浴室部)に集中し、他部は簡単に四囲に配置されている。

(五)  建物の南側平家部分とその他の二階建部分では、建物量が後者が前者の二倍であるのに、基礎は同一の大きさである。

しかし、原告建物の右のような欠陥ないし施工不良が原告建物の不等沈下ないし本件損傷の唯一の原因であるとする証拠はない(原告建物の欠陥ないし施工不良が原告建物の不等沈下ないし本件損傷の唯一の原因であるとすれば、本件損傷は偶然本件根切り工事の直後に発生したことになるが、このような事態はにわかに想定することができない。)。

次に、市川鑑定は、原告建物の前記欠陥ないし施工不良がいずれも原告建物の前記不等沈下の一原因になつた(原告建物は元々不健全なものであつたが、本件建物の施工によりその沈下が誘発又は増進されたと解すべきである。そして、損傷原因分担の割合は建築学的には原、被告五分五分ないし六分四分で、被告側の原因が大きい。)としている。また、市川鑑定人は、根切り工事による隣接地への影響は、その根切りの場所から、根切りの深さの二倍程度の距離まで及ぶと供述しているところ、前認定の原告建物の不等沈下の状況(別紙図面三のとおり、本件土地に近い南側部分よりも、本件土地から遠い部分のほうが沈下が大きく、また、建物の中央部分の沈下が比較的少ない。)は、右欠陥ないし施工不良が少なくとも不等沈下の原因の一つであるとした場合に、合理的な説明がつくようにも思われる。

しかし、まず、岡本鑑定では、右の(一)及び(二)の施工については適正ではないとしつつも、たとえ、原告建物の基礎等が適正であつたとしても、前記地下水の汲み上げによる地盤沈下の影響は出たであろうとしている。また、証人岡本辰義は、原告建物の基礎等が適正であつたとしても、本件土地における地下水の揚水によつて本件損傷と同一程度の原告建物の損壊が生じたものと推測できる旨証言している。そして、市川鑑定は、原告建物の欠陥ないし施工不良が原告建物の不等沈下の一原因となつているとの結論を導くについて首肯するに足る確実な根拠を挙げているわけではないから、右のような可能性があることまでは否定できないとしても、直ちに右の結論を採用することはできない。まして、損傷原因の割合として掲げる数字は、一応の試論的なものにすぎないと解され、十分な合理性のあるものとは考えられない。

また、原告建物の沈下の状況が別紙図面三のとおりである点についても、証人岡本辰義の証言によれば、地下水の汲み上げによる影響は予想外に遠くまで及ぶことがあり、五〇メートルとか一〇〇メートルにまで及ぶことがあること、さらに、地下水の汲み上げを行つている場所の近い所に影響が出ずに、遠い所に影響が出ることもあることが認められるので、原告建物の前記欠陥ないし施工不良が不等沈下の原因であるとしなければ説明ができないわけではない(なお、市川鑑定人も、水を抜いた影響が一〇〇メートル離れた場所に現れたことがある旨の文献の記述を紹介している。)。

そうすると、結局、原告建物の欠陥ないし施工不良が原告建物の不等沈下の原因の一つであること、あるいは原告建物の損傷の拡大に寄与していることについては、その可能性があるといいうるにとどまるのであつて、そのように断定することはできない。従つて、本件については、本件根切り工事について責任を有する者は、その寄与度に応じた限定的な責任を負うにとどまるとする余地はない。

以上の検討によれば、原告建物には、別表記載のとおりの本件損傷が認められ、被告会社の本件根切り工事と原告建物の本件損傷の発生との間には因果関係が認められる。そして、本件損傷の発生による損害の全部が本件根切り工事と相当因果関係にたつ損害であるということができる。

四請求原因6(被告会社の責任)について

〈証拠〉によれば、前認定の本件根切り工事の方法では、本件土地における地下水や細砂の流出を防止することができないこと及び長さ四メートルの鋼矢板(シートパイル)を根切り底から一・五メートルが出るところまで連続して掘削面に添つて打ち込む山留工法(鋼矢板工法)によれば、完全にとまではいかないものの、ポンプで汲み上げるほどの地下水が出ないように防水することができることが認められる。そして、被告会社があらかじめ訴外横山基礎工業から本件土地が軟弱地盤である旨の報告を受けていたことは前認定のとおりであるから、建設業者である被告会社としては(被告会社が建設業者であることは当事者間に争いがない。)、本件土地において根切り工事を行う場合には、原告建物に不等沈下等の影響を与えることを予想して右鋼矢板工法をとるべき注意義務があつたというべきである。従つて、それを怠り、前認定のとおりの本件根切り工事を行つた被告会社には過失がある。

被告会社が、右訴外横山基礎工業の報告に基づきあらかじめ土圧、側圧等の構造計算を行つたうえで本件根切り工事の工法を選択したことは前認定のとおりであるが、現に原告建物に本件損傷が発生した以上、被告会社の右判断は誤りであつたというべきであり、右のような構造計算をあらかじめ被告会社が行つたという事実は、被告会社に過失があつたという右判断を左右するものではない。

なお、市川鑑定人は、江東区深川のような海面下の土地でも完全な水止め施工をしている例はほとんどなく、本件土地において簡易山留工法をとることは総合的には妥当であると供述している。しかし、市川鑑定においても、本件根切り工事の方法は、掘削面土壌の保護的機能はあるが、隣接地土砂の根切り底への廻り込み、湧水止め等の効果が弱く、隣接地地盤の緩み、沈下等の予防措置としては不適当であるとしている。そして、たとえ、江東区深川においても完全な水止め施工をしている例がほとんどないとしても、被告会社が本件土地において鋼矢板工法をとらなくてもよいということにはならないし、現実にどのような工法が多く行われているかは、本来とるべき工法を定めるについて必ずしも参考にはならないから、市川鑑定人の右供述は被告会社に過失があるという前記判断を左右するものではない。

従つて、被告会社は、原告が原告建物の本件損傷により被つた損害の全部につき不法行為に基づく損害賠償責任を負うことになる。

五請求原因7(被告長谷川らの責任)について

〈証拠〉によれば、昭和五六年二月一〇日に被告一郎が、当時被告会社に勤務していた訴外若宮茂とともに原告方を訪れ、三階建の本件建物を建築することにしたこと及び当初地下にも建物を建築することにしたが、本件土地は少し掘ると水が出るのでやめたほうがいいと皆に言われてやめたことを原告に話したことが認められる。また、原告本人尋問の結果によれば、被告長谷川らは、昭和四三年ころから本件土地に居住していることが認められる。これらの事実によれば、被告長谷川らが、本件根切り工事以前に本件土地が軟弱な地盤であり、掘削すれば地下水が出ることを知つていたことは容易に推認することができる。

しかし、本件根切り工事の方法は、建築業者である被告会社が土圧、側圧等の構造計算を行つたうえで選択したことは、前認定のとおりであり、被告長谷川らにおいて、建築に関し被告会社と同等若しくはより以上の専門的な知識を有していることが窺われる証拠もないのであるから、被告長谷川らにおいて、本件土地が軟弱地盤であることをあらかじめ知つていたからといつて、それだけで被告会社に本件根切り工事の方法以外の隣接地に影響を与えないより適切な工法をとるようにとの指示を与えなかつたことをもつて被告長谷川らに過失があるということはできない。

なお、原告は、被告長谷川らが、本件土地の所有者として民法七一七条の責任を負うべきであるとの主張をするが、本件の場合に同条の「土地ノ工作物」が何であるのか特段の主張をしておらず、仮に、矢板等の山留工事に用いられた施設、設備が右土地工作であると解しうるとしても、それは、被告会社の所有であることは弁論の全趣旨により明らかであるから、いずれにせよ原告の右主張は失当である。

六請求原因8(損害額)について

原告建物について本件損傷が認められることは前認定のとおりであり、鑑定時の昭和六〇年一月一二日におけるその補修費を四八三万四八九二円であるとする岡本鑑定は、その損傷の全てについて周到、詳細かつ具体的にその補修費を算定しており、十分な説得力があるから、これを採用することができ、原告は同様の損害を被つたということができる(なお、岡本鑑定では不法行為時により近い昭和五六年一〇月当時の補修費を四九二万三〇二九円としているが、その後、建築費の値下がりにより鑑定時においては右の四八三万四八九二円で補修ができることになつたというのであるから、原告の損害額としては右の四八三万四八九二円を採用するのが相当である。)。

証人斉藤誠は、原告建物の基礎を作成した鳶職から原告建物の補修をするには建て直すよりも費用がかかるという趣旨の話を聞いたとして、その建て直し費用を甲第四号証のとおり一七六一万四八〇〇円と見積もつた旨の証言をしているが、同時に原告建物の補修費として甲第一一号証のとおり九七二万八〇〇〇円と見積もつた旨の証言をしているから、結局、斉藤証人の証言によつても原告建物を建て直す必要まではないことになり、他に原告建物を建て直す必要があることを認めるに足る証拠はない。

そして、証人斉藤誠の見積もつた右補修費九七二万八〇〇〇円については、岡本鑑定及び証人岡本辰義の証言により、原告建物が前記のとおり四八三万四八九二円で補修ができることが認められる以上、これを採用することはできない。

また、市川鑑定は、原告建物の補修費を三八〇万四〇〇〇円であるとしているが、証人岡本辰義の証言によれば、補修のために家屋を持ち上げ再度設置をする際に電気、ガス等の設備の切断、復旧、補修費に少なくとも五九万円を必要とすることが認められるところ、市川鑑定では右費用を計上しているのか否かが不明であるなど、全体的に市川鑑定は岡本鑑定に比較して概括的であるうえ、証人岡本辰義の証言によれば、岡本鑑定でもその補修費は必要最小限の控えめな数字となつていることが認められるから、それよりも低額の右市川鑑定を採用することはできない。

従つて、原告建物の本件損傷により被つた損害額は、四八三万四八九二円である。

七よつて、原告の本訴請求は、被告会社に対し不法行為に基づく損害賠償として金四八三万四八九二円及びこれに対する不法行為後であり、本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五六年一〇月三一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、被告会社に対するその余の請求及び被告長谷川らに対する請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官氣賀澤耕一 裁判官都築政則)

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